海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

オレオレ

オレの40代もついに後一年を切ってしまった。名残惜しい。いや、40代になった時は、なかなかそれを受け入れられなかったものだが、いざここまで来てみると、なんて愛おしいの40代。一生お付き合いしたいのに。やっぱりあなたも去っていくのね。で、そんな節目(というほどでもない)の今日、月曜日だから授業もないのに、夜に会議のスケジュールなんか入れやがってよう。夜はあかんやろう夜は。で、その会議もなんだか全く意味のわからないことで紛糾して時間かかるしさ。

それはともかく、オレはその昔40歳になった時に、一人称を「小生」とかいうことだけはすまいと誓ってその通りに生きてきているわけであるが、なぜ「小生」という言葉が嫌いかというと、この言葉はへりくだった言い方のくせに、実際にこれを使っている人は傲岸不遜なオッサンであることが経験的に多いからだな。で、そういう言葉と態度の矛盾ってどういうことかって思うと、つまりは「小生」という言葉を使う人はへりくだりに意味を見出す社会で暮らしているからで、つまり上下関係の強い権威的な社会だな。で、日本の場合年功があるからオッサンになるとそういう社会では上位に位置することができるので、自然傲岸不遜な振る舞いになるわけだ。そう考えるとなるほど言葉と態度はその人の世界観を示す上で一貫しているわけだ。ケッ。

ちゅうわけで、49になった日に、やはり「小生」だけは使わない人生を送ろうと改めて決意した次第。