海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

自由と成長についての物語

ピノッキオの冒険」を読んだ。2003年に角川から出ていたものを改訳しての出版とのこと。いつもありがとうございます>大岡先生。それはともかく、文学的素養の1ミリもない私のこと、ピノッキオといえば、ディズニーのあのハートウォーミングなイメージしかなかったのである。原作でもっとハチャメチャで、ということは大岡先生の前著などにて一応知識としては知っていたものの、実際読んで見ると、予想していたよりずっとムチャクチャ。特に前半、衝動だけで生きているんじゃないか?というピノッキオの暴れっぷりに呆然として読み進むわけだが、ここがもう面白くって、ページをめくるごとに破壊のピッチが上がって行って、ジェットコースタームービーを見ているかのよう。で、そういうデタラメぶりがたたって、途中ピノッキオはカシの木に吊るされて死にかけるのだが、その後あたりから話が急に逡巡し始める。逡巡というか、二つの力の間の綱引きであっち行ったりこっち行ったり、という感じ。で、最後は己を制御することを覚えたピノッキオが人間になってメデタシ、という。で、破壊的に突っ走る前半と比べて後半は勢いが落ちたなあ、と思って、大岡先生の解説を読むと、どうも作者はもともとそこまでのお話としてこの本を構想していたらしい(あとから確認したら、前著にも同じことが書かれていて、私は読んだけど忘れていたらしい。年ってイヤね)。なるほど私の感想もあながち的外れじゃなくって、そこから以降は作者的にはセル編・魔人ブウ編みたいなものか。そりゃフリーザ編の面白さには至らんなあ、という。

で、私にとって、前半の何が面白かったかって、そのピノッキオのデタラメっぷりと周りの振り回されっぷりが、マンマ自分の子育て経験に重なること。特に、ジェッペットさんがなけなしの上着を売って買ってあげた練習帳がサーカスの入場料に化けてしまうところが、親の見ている世界と子供の見ている世界のズレを表しているようで、もうリアル過ぎて。こうだよねえ、子供ってほんとこうだよ、と、喜んでる場合じゃないんだが、つい嬉しくなってしまう。でも、ジェッペットさんも、のちに母親がわりになる青い髪の少女も、どうしようもなくて、効かないかもしれない無駄になるかもしれない忠告をするしかない、というところにまた感じ入る。で、結局、ピノッキオは自力で成長するわけだ。周りはハラハラしながら見てるしかないんだよねえ。

ピノッキオの冒険 (光文社古典新訳文庫)

ピノッキオの冒険 (光文社古典新訳文庫)