海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

アブをとる人

狩猟本能の薄弱な私であるけれども、この時期はクモの餌にハナアブを採るので薄いながらも本能の高まりを感じるのが通例なのだ。飛んでるハナアブの軌道を予測し吸虫管を刺し出して、ちゅっと吸ったら瓶の底にこつんと当たる虫の手応え。ささやかながら快感といえる。きっと釣りをする人の感じている気持ちよさと言うのもこういうものであろうと想像してしまうのは、最近「文豪たちの釣旅」を読んでいたから。いや、実は今月初めには読み始めていたのだけど、とにかく6月がドタバタの月であるのは関西に戻ってからも変わらないのであって、後数章を残すところまで読んでから、先に頁を進める余裕がビタ1文無くなってしまって、やっと今月の東京(多摩だけど)調査も終わり研究室のクモの世話もピークを過ぎたところで読み終えたと言う。活字を読むのが遅いヨメサンよりも読了が遅れるなんてもう恥ずかしくって誰にも言えない。

この本は、14人の文人の書いた釣りに関する文章を魚に、大岡センセ(ちょっと気恥ずかしいのでカタカナで敬称つけてみました)がその釣りを自ら体験しては、時にはその興奮について書き、時には釣りをする事の何たるかを書き、時にはボウズの千々に乱れる心を書き、、というもの。実際のところは色々準備をされているのだろうけれども、フッと出かけて釣ってみた的に書かれていて、その気軽な感じの中にチラチラと見え隠れする思いの厚さが味わい深い。釣りをしない人でも楽しめる事請け合い。ちなみに、どの章も面白いのだけど、私的に1番なのは幸田露伴の話。

さて、狩猟本能の薄弱な私だから、自然相手の仕事をしているとはいえ、釣りをした経験はほとんどない。サビキでアジを釣った事が何回かと、院生時代に研究室の先輩にアマゴ釣りに連れていってもらったのが釣りの記憶のほぼ全てと言える。ところが、そんな私でもこの本を読めば、「1度釣りに行って見るのもいいかもしれない」と思わさせられてしまったのであるよ。いったいこの本の何が私をしてそう思わせたか、とツラツラ考えるわけだけれど、多分、釣りと言うものが文人の文章と言うフィルターを通して提示されているというその仕掛けにあるのではなかろうかと思うわけだ。何と言うか、魚とのなんちゃらかんちゃらより、その周辺にあるいろんなものに私は興味があって、「ひょっとして釣りとかしたらそういういろんなものに触れたりできるんじゃない?」と思うがゆえの「釣りしてみたいかも」であるという。いや、そういう重層性って、最後の章に添って言うなら屈託と言ってもいいけど、この歳になって世界を拡げようとする時には結構大事なものだったりするのよ。

文豪たちの釣旅 (フライの雑誌社新書)

文豪たちの釣旅 (フライの雑誌社新書)