海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

右顧左眄

はせしょに向かって歩いていると、道に手のひらくらいの紙の袋が落ちていた。で、特に気にせずスルーして5mほど歩いたところで、あれ?あれはポチ袋ではないか?と気がついて、中を改めるかと戻って拾い上げる。すると、中には追った千円札が2枚。袋には○○ちゃん、と書いてある。あー、明日の準備をしたはいいが帰り道で落としたんだな。で、袋の様子を見ると、大変きれいで、ということは落として間もないものだと思われる。さあ困った。これ、警察に届けるべきだろうか?しかし、落とし主が落としたことに気付けばいいが、単に見つからなくなっただけだと考えたら警察に行くこともないだろうし、落としたことに気がついても時間がたっていたり、このくらいの小額なら、と考えたりして、やっぱり行かないかもしれない。一方で、すぐに落としたことに気がつけば、探しに来るかもしれない。この、なんつうか、○○ちゃん、と書かれた、決して達筆とは言えない字を見てしまうと、これが落とし主の手に戻ったら良いなあと思うわけで、警察に届けるのとこのままここに放置するのとどちらが戻る可能性が高いだろうと考える。が、結論が出ない。ので、とりあえずここに放置して、はせしょに行くことにし、帰り道にまだあったら警察に行こう、と思ったわけだ。決断先延ばしである。で、10分ほどして戻ってきたらば、まだあるよ。だけど、場所が移動している。そうか風で飛ばされるのか。うーむ。さっきはまだあったら警察に行こうと思っていたけど、やっぱりそれが正しい道な気がしない。ので、しばらく悩んで結局放置して帰ってきた。で、ヨメサンにそのことを話すと「そりゃ警察のほうが可能性高いでしょ。私なら警察行く」って言うから、考え直して自転車で確保に走ったのだけど、そうすると既になくなっているのは、ああこれが人生だなあ、と思うわけ。ということで、二千円はどうなったのだろう?誰かが拾って持っていっちゃったかそれとも警察に届けられたか。風で飛んで用水路に落ちて流れていった可能性も否定できない。願わくば、気付いた持ち主が取りに来てくれてますように。そんな大晦日だが、今年は私にとって停滞の一年で、去年までしばらくは、なにかしら新しい経験ができていてエキサイティングだったのだけど、今年は初めての経験というのがあまりなく、強いて言えば伸ばし博士に通って自分の身体がこれまでと違ってきている経験をしたくらいだった。他は本を書いたり連載を始めたわけでもなく、研究でもこれまでの焼き直し的なことしかできず、コロナ禍下の行動形態はいつの間にか元に戻っちゃって、新しい知りあいも特には増えず。やっぱり初めての経験があってこその人生なんだけどなあ。つまんない。目標にしていた論文も結局アクセプトまで持っていけずだったし。というわけで、大過なく過ごせたものの、盛り上がりに欠けた今年もそろそろ終わり。皆さんよいお年を。