海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

初心

昨日子供が産まれたのは規模の大きな病院で、入院の手続きをしていると「看護学校の実習生が参加しますがよいでしょうか?」と聞かれた。正直なところ、少し不安にも思ったのだが、教育に協力する機会を拒むわけには行かない。ということで、へいへいと了承して「ヨメサン、大勢の若い看護婦見習いに見つめられて産むのかしら、うわー」とか、大先生が取り巻きのインターンを引き連れて回診しているの図を想像したりしたのだがそうではなかった。実習するのは既に看護婦になっていて助産婦の資格を取ろうとしている方一人なのであった。

この方、横でずっと見ているのかと思ったらさにあらず。いざ陣痛室に入ったら、もうほとんど助産婦さんと同じ事をしてくれるのである。モニター機は付けてくれるしお腹の状態を触診するし心音を探って子供がどの辺りまで降りてきているかも調べていた。しかも15分に一回くらいのペースで様子を見に来てくれる。一人目を産んだ時は何人もの助産婦さんが入れ替わり立ち替わりで、ともすると二時間ほども放置されることしばしばだったのに、大変な待遇の違いである。

さらに、その方は大変感じが良く親切で、一人目が48時間もかかった難産で今回も不安を感じているヨメサンが、いつ産まれそうかしつこく問いただすのにもイヤな顔一つせずポジティブに励ましてくれる。おかげでヨメサンはリラックスできたのか陣痛室に入ってたったの4時間でスルスルポンと産んでしまった。

私たち夫婦はその方にもうホントに感謝感謝なのであるが、この方の感じの良さは実習生であることによる部分が大きいのではなかろうかと思ったのである。学生であるがゆえの気さくさフランクさももちろんなのであるが、それに加えて助産がまだ彼女にとってお仕事になっていないという点が重要なのではないかと。お仕事でないからこそ、こちらと同じレベルでフーフー言ってくれたり腰をさすってくれたのであって、そこにヨメサンも本当の意味での共感を感じてリラックスしたのではないかと思うのだな。もし、これがお仕事であれば、心のどこかに相手を人間扱いしない、つまり処理する対象としてしか認識しない部分が生まれてしまうような気がする。というか、そういう風に扱われることって時々ある。

初心忘れるべからずという言葉が頭に浮かぶ。それは助産に限らず、人と接する仕事全般に言えることであるよなあと思い、私の仕事にも当てはまるということに気がつく。私もこの実習生さん、というか助産婦見習いさんのように、新鮮な気持ちでいつも誰に対しても接しなきゃいけないなと心を新たにさせられたのである。

で今日。上の子供を連れてヨメサンの病室に御対面に行ったのだけど、そこにも来てくれたので話をさせてもらった。で、昨日は3時間しか寝ていないという話なので「何時間くらいで交代になるのですか?」と尋ねると「基本的に担当した方が産むまでです」というので「もしウチが48時間だったら、ずっとつきあってくれてたんですか?!」とビックリ。すると「でも、私がついた人で20時間以上かかった人はいないんですよー。私は陣痛促進剤を良く扱っているので、手に薬が染みついてるんですねー、きっと。アハハハ」と冗談をかまされた。でも私は心の中で「それはあなたの初心がそうさせるんだよな」と思っていたのであった。