海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

Singing, Singing(←しつこい)

今日も呻吟。それでも午後に入った頃には一区切りついたので、意見を乞うため原稿を某所に送り付け、狭山丘陵にフィールドを探しに出かける。本当は、東京に来てすぐにしなくてはならない作業だったのだろうが、私は上の子と同様、知らない人がたくさんいるところでは取りあえず周りの様子を観察するのだ。外を歩き回っていては、職場の様子が観察できないじゃないか。で、一年ほどたって、ようやく周りがわかってきたので、やっと外にでれるようになったと、こういうわけ。で、2時間ほど歩き回ったのだが、南大沢で痛めたふくらはぎがまた痛くなってしまった。年寄りの冷や水かオレ。そんなわけで、関東の冬の雑木林の風景にもやっと慣れてきた。

日が落ちる頃に研究室に戻ってきたら、原稿が手直しされて戻ってきていた。それを読んでいると、なんかピンとくるものがあってグォーっと書き直す。で、午前中の文章とは別物のように良くなった。人の手が入ったことで自分の中にあった違和感というか言いたいことの曖昧な部分というかが顕在化したせいだと思っていたが、帰ってきてヨメサンに話すと「歩いたから脳が活性化したのではないか?」と言われた。そうかもしれない。もう少し暖くなったら、もう一度行こう。

で、その原稿の要旨は、生物教育の中で自然教育が重要であること、その中でも動物の行動は興味の喚起力があって共感も生みやすい題材であること、動画は行動を扱う時に便利なメディアであること、そして動画のデータベースを使えば多様性の中にある共通性・法則性にまで踏み込んでいくことができること、である。つまり動物行動の映像データベースは良い!って自画自賛する話なのだが、よくよく考えれば、この手の話は折りに触れ日記の中でバラバラ書いてきたような気がする。コンコルドの誤謬で続けているに過ぎないと思っているこの日記も役に立つこともあるのだなあ。どうでもいいが、今回すんなり書けないのは、会の趣旨からして内容は自賛系にせざるを得ないのだが、私の羞恥心かもしくは歪んだプライドがそれを邪魔するからだということに、たった今、気がついた。

原稿は明日もう一度見直して完成の予定。