海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

もう最終日

二日目である。トップバッターは私。実は、学会の一週間前まで実験しているという泥縄式の発表を久しぶりにやるということで、データの吟味や考察などを十分に煮詰めきらずに、どうも自分でもしっくり来ない部分を抱えながら、阿蘇に来てしまったのだな。で、昨日の午後遅くに人の話を聞いていて、突然自分の話に開いている大きな穴に気がついたという。そりゃしっくり来ないはずだ。で、一晩考えても、その穴を埋められる説明が思いつかなかったので、今日はその旨正直にしゃべると言うグダグダな発表になってしまったのである。それでも、その穴に気がつかないまま喋ってしまい、質疑応答で指摘されて立ち往生するというのは最悪のシナリオであって、それを回避できた事に救いを見出すと言うことで。で、今日の講演はキャンセルもあって3題だけで、その後キムラグモの観察会に。上の子もまじらさせてもらう。このディープな世界は4歳児にはまだよくわからなかったみたいだけど、土の斜面に開いた小さな穴に顔を近づけては興奮する大人ってのが世の中にいるんだということを、妙な常識を身につける前に見ておくのは悪くはなかろうて。

ということで、正午前には学会も終わり、家族と合流。目指すは地獄温泉である。いや、某氏の薫陶を受けた結果、立派な温泉小魔王くらいにはなっている私だけれども、その温泉経験の中でも、最も忘れられないのが、この地獄温泉。長崎時代最後の年の冬に入ったとき、上がってから一時間近くも体がホカホカし続け、その後一週間体から硫黄のにおいが抜けないという強烈な経験をしたものである。以来、4年弱。もう一度あの体験をと夢見ながら、やっとこの日を迎えることができたわけだ。感涙。こんなに暑い夏に温泉でもなかろう等というネギーな考えはびた一文浮かばなかったよ。で、地獄温泉と言えば混浴泥湯のすずめの湯である。しかも露天で外から丸見え。ここに何のてらいもなく入れることは男として生まれて良かったことの一つと言える。ところが、ここには男女別の内湯もあって、そちらにも入っていると、壁の向こうからヨメサンの声。「あたしも露天に出るわよ」。さすがはヨメサン、極楽体験を羞恥心よりも優先させるとは立派なオバサン道開眼であることだ、と思ったら、どうも内湯で湯治に来ているオバサンたちから「あっちに入らないと何しに来たんだかわからない。バスタオル巻いて入ってもいいんだし、貸してやるから何としても入れ」と言われてその気になったらしい。というわけで、「最高の温泉は地獄温泉である」という私の意見の賛同者を一人増やすことに成功。それにしても、次の春は福岡で生態学会なのだけど、その後ここに二・三日湯治に来てやろうかと半分くらい本気で考える私なのであった。誰か一緒に行く人いませんか?

今日の宿泊はレゾネイトクラブくじゅう。ここも温泉があるという話だったけれど、カルキ入りだった。でも、静かできれいな宿。

阿蘇での宿のことを書くのを忘れていた。阿蘇プリにはゴルフ場があって、朝風呂に入ろうと6時に起きて歩いていると、ゴルフウェアに身を包んだ善男善女がぞろぞろ歩いていた。ゴルフって人をこんなにも早起きさせうるほど楽しいものなのかと感動していたら、ヨメサンに「だって昼間じゃ暑いじゃない」と指摘された。まったくそのとおり。で、その風呂は米塚温泉というもので、男湯は大観望から九重までの眺望が得られ、湯の質もよく、ヒットだった。プリンスだしお湯には期待してなかったので(ごめんなさい)、喜びもひとしお。これで温泉エンジン全開となる。ぜんぜん話は変わるが、部屋にはネットの回線が来ているみたいなので、初日に早速ケーブルを挿してみた。すると「プライベート接続 0¥」というような表示が出て、確認ボタンを押したら接続できたのだけど、ふっと不安になってフロントに聞いてみると一泊1500円の料金がかかると言う。そりゃ高すぎるわけだけれども、もう繋いじゃったし仕方ない。しかし、それならどこかにその旨書いておいてくれないとなー、と思いつつ二泊目は当然繋がなかったわけだ。そしたらチェックアウト時にはなぜか料金請求はなし。小心者が確認しなければ、何の問題もなかったのに、という話。