海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

菜園者の教養のために

ナチス・ドイツの有機農業」を読んだ。私はナチスの事は大学教養レベルの知識も持ち合わせておらず(っていうかハリウッド映画の敵役のイメージだ。何たる無教養)、以前から、いろんな歴史の事例を見るにつけ、ひょっとして農と虐殺には何か繋がりがあるんじゃないか?という考えが頭から離れないのだけど、じゃあナチスはどうなんだ?ってところが抜けていた。なので、こういう本が出ている事を知ったら読まないわけにいかない。

で、どうもナチスと言うのは単純に生命を軽視しているものではなく、むしろ逆に自然とそこに暮らす生命を人間よりも重視するような、(カタカナ書きの)エコロジー的志向を持っていたらしい事が書かれている。で、このような理想的な自然のなかで自立的な農業を営むことのできる生命空間(レーベンスラウム)の獲得のため東方に進出しようとしたのであるらしい。そしてそこに住む「あるべきでない」人達を一掃し、「あるべき」自然を作るのである、という。人より自然が大事だからね。

と言う事で、この書においては(カタカナ書きの)エコロジーを通じて農と虐殺が繋がっているように読める。で、ここからは単なる私の思いつきと言うか妄想炸裂と言うか、何の根拠もない垂れ流しなのだけれども、確かに、農を行うとエコロジー的視点は否応なく頭に入ってくるだろうことは、私みたいに小さな畑しか扱った事がない者にも理解できる(ひょっとしたら小さな畑しか扱った事がないからそう思うのかも知れないけど)。なんていうのか「自然に生かされている」感覚は強いのだ。自然は重要と思ったら、自然を損なうもの(というか自然は利用するためのもので、利用のためには損なわれても構わないと考えているもの)は排除されて当然と言う結論に一歩近づくわな。いろんな虐殺の裏に、そんな異なる自然観の対立構造があったりするのかなあ。