海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

見えないものの展示

大阪市立自然史博物館へ。しばらく前にここの常設展示がリニューアルされた際、ヨメサンが昔やってた事をネタとして取り上げてもらったので一度見にいかにゃあと思っていたのだな。soishidaさんに案内してもらうという豪華特典付き。で、まずは件の展示の部屋へ。ここは古典的な標本の展示ではなくて、生き物の生態の展示が中心テーマ。生態とは生物間の関係の事(と言ってしまうと文字通りお里が知れるところだけれども)で、関係とは目に見えるものではないから、その展示もすっとは行かない。で、ゲーム仕立ての展示や自動人形劇仕立ての展示があったり、いろんなアイデアに満ちたモダンな展示室になっていた。「しかし、こんなアイデアの出せる学芸員ばかりじゃないでしょ。博物館の流行がこっちに来ると、そういう人達ってどうなっちゃうの?」と聞いてみたら「展示内容はみんなでブレインストームしながら作るから、必ずしもアイデアが無くても貢献できる」との事。その時はなるほど!と思ったのだけど、大阪市博のような大規模なところなら良いけど、もっと小規模なところはどうするのかしら?と後から思った。

しかしながら、幼稚園児たるウチの子には恐竜の骨とかの方が受けが良かった。具象は強し。っていうか、もう生態の展示に関しては大人(最低でも中学生)だけをターゲットにする事にしたら良いんじゃないかなあと思った。展示のディテール(動物のイラストとか)から、もちょっと子供っぽさを切り捨てたらエッジーにならないかしら?だめかな?どうでもいいけど、古典的な展示の部屋は照明が暗く、新しい部屋はこうこうと照らされていた。後者の方が幼児向きではある。

と、駆け足で一渡り見せてもらってから、伝手を持つものの特権であるところの収蔵室見学。分類群ごとに並べられたサンプル瓶の行列を見る。で、収蔵されたものを捨てる事が無いと言う、無限性をその根本原理に持つ博物館という存在に少し怖じ気づいたので、その旨ishidaさんに訴えてみたら「博物館にいる人は物を集めるのが好きだから、そんな気持ちにはそもそもならないのでは」とのお答え。確かに私は収集癖の極めて薄い人間であって、だから巨大な収蔵室を前にそのような考えが浮かぶのかもしれない。

最後に研究室にお邪魔してW田さんも交えて少し雑談させてもらったのだけど、ここがそのゴチャッとした部屋の様子や、いつでも構成員同士のコミュニケーションが始まりそうな雰囲気とかが私の出身研究室のものとそっくりそのままであって、大変懐かしい思いをした。就職してから全く文化の違う環境に放り込まれた私としては、ずっとああいう環境で働き続けられているというのはちょっとうらやましい。

ということでお世話になりました>ishidaさん、W田さん、あとお名前失念してしまった(失礼)動物研究室の方