海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

クラーク先生を否定したい

一日ウチで原稿書き。ずっと書けるかどうか不安で、取り組むのに気が重く、ますます進行が遅れると言う悪循環に陥っていたけれども、今日はだいぶん進んで完成の見通しが立ってきたある。最近原稿はPagesで書く。複数のMacで同じ書類を開いて、研究室で書いた続きを何も考えずにAirで書けるというのは、やって見ると想像以上に便利。DropBoxで共有でも同じようなものに見えるけれど、作業機を切り替えるたびにファイルを開いたり閉じたり意識しなきゃいけないのはやっぱり面倒、と、Pagesを使うと思うのだな。ということで、Mountain Lionだったウチのデスクトップ機もMavericksにやっとアップデート。するとセットアップ時に携帯電話番号の入力を求められて、「持ってないんじゃゴラア」とAppleに問い合わせて入力を回避する方法を教えてもらう。面倒くさいなあもう。

そんな中、ウチの子の学校では授業参観。なんかぶーちんの学年はでんじろう先生モドキな人を連れてきてサイエンスショーをするというので、そう言うのを見学するのも私の見識になろうかと見に行く。いや、昔から私は、子供に科学的な事を教えるのはある程度抽象的な事が扱えるように発達が進んでからで良いと思っているのだけど、今日も参観してその思いを強くしたわけ。今日のショーでは、つかみで子供の注意を引きつけるためスプーン曲げを見せたのだけど、「これはてこの原理で」と言うだけで、てこの原理の何たるかについての説明がなかったわけ。その後も、電気の話で、テスラコイルからの放電を見せたりライデン瓶の実演をしていた。確かに子供には大受けしていたけれど、でも、それって原理を理解させたりするんじゃなければ、ただの手品・魔法を見せてるに過ぎないやんね。いや、この年の子らに電気の原理を説明するのは難しくって、注意を引きつけるためにはこういう見せ物をやらざるを得ないのはわかるんだけどさ、じゃあそもそもやらなきゃ良いじゃんって思うのよ。イヤ百歩譲ってやってもいいけど、だったら手品とか魔法とか言ってりゃいいじゃん。科学が理解できるようになってから、実はあれのメカニズムは科学でで説明できて、手品でも魔法でもないんだよ、と言えばいいわけよ。今のままじゃ、子供が科学の何たるかを誤解するんじゃないか?サイエンスショーをやる人たちって、科学をなんだと考えてるのかしらん。

で、なんかイヤーな気持ちになって、折角だから上の子の授業も参観しようと足を向けたら、こちらも理科の時間。地球が直径1cmだったら、月の直径は?と言う話をしている。その話の後に、先生は1cmの球と2.5mmの球(月だな)を子らに渡して、地球と月の距離をこの二つの球を配置して表してごらん、とおっしゃる。それが30cmほどだということがわかり、じゃあ太陽の直径はどのくらいになるかな?と問う先生。1m強である事を示した後に、今度はじゃあ太陽はどのくらいの距離になると思う?と聞くわけ。なるほど、こうやって説明すると超巨大スケールの話をなんとなく理解できるようになるやんね、と思っていると、先生曰く、だいたい120メートル。この教室から120メートルってどのへんかわかる?プールだよ。ほら、ここからプールが見えるだろ、見てごらん。あのへんだから」って窓の外を指さすと、なんとプールサイドに赤い大玉が置いてあるじゃないか!!!うわー、オレンジ警報か!、いや、センスオブワンダーだ!これ、これだよ科学ってものの醍醐味は!!!と感動したと言う。あとから上の子に聞いたところでは、このために先生がわざわざ仕込んだんだそうな。あの薄っぺらい「サイエンス」ショーなんかやらないで、普通に先生に授業やってもらう方がどれだけ良い事か。

で、夜はシネコンで「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」。ソニータイマーが存在しない別の宇宙、と言う話。いや、まあああいう仕込みで70年代の音楽を異星人がわらわら出てくる宇宙の話にかぶせてきたのはちょっと面白かった。しかし予告編とか見てると、なんかふざけて作ってるに違いないとか思っていたわけ(だって最凶のアライグマって言われてもねえ)。だけど、意外と作りは真面目で、まあ面白かったんじゃないでしょうか。