海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

仕分けの感想

ネットは便利なもので、昨日の仕分けのインターネット中継の音声ファイルを見つけたので、若手の部分と外国人招聘の部分を聞いてみた。リアルタイムで聞いている時から思っていたが、結局のところ今回の結論になった原因はプレゼンの良くなさに尽きるのではないか。仕分け人の質問に正面から答えず、実質的な内容の無い語句の羅列に過ぎない回答を繰り返していれば、相手の理解が得られないのも当然かと思う(これは、これまでこのような話法を用いる議論に基づいて国のかじ取りの意思決定が行われてきた事を示唆するもので、暗澹たる気持ちになるのを免れないのだが)。相手には切る意志があり、切る権限も持っている。相手の言う事をまともにとりあわないというのは、立場の弱いもののやる事じゃないわな。

であるけれども、仕分け人の言う事にもデタラメは多いわけで、例えば学振PDはタダの雇用対策だからダメ、みたいな意見があったけれども、元々これは雇用対策のための制度じゃないか。大学院に進学する人がタダの変わり者だった古き良き時代、その頃は年ごとの院修了者数とアカデミズムにおける就職機会数とがだいたい均衡していたけれども、自分の求職時にたまたま自分の専門にあったポストに空きが出るとは限らなかったわけで、そのような人に数年給料を与えて空きを待つ間のしのぎにするのがそもそものPDの機能ではなかったか。現在の問題は、アカデミズムにおける雇用の需給バランスが完全に崩れてしまった以上、PDが雇用対策として十分に機能しなくなった事だ。縮減するならそれを理由にしないと、そもそもの問題が放置されたままになるではないか。ポスドクも人であって、これを淘汰の対象だと平然と言いきるのはあまりに冷酷といえよう。

それからDCの機能は優秀な人間の囲い込みにある。だからDC経験者の常勤就職率の高さを「優秀な人にDCを与えているのだから当たり前で、DCに効果があることの検証には使えない」というのは、無茶苦茶な難渋の類だと思う。

というわけで仕分け人の側には、研究者だって人間なのだから生活できる給料がないとやっていけないのだ、という当たり前の事にもう少し注意を払って欲しい。