海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

周防の法則

私が今いるところでは教養系の人間は便宜上各学部にバラバラに所属する。私はよりによって法学系の学部で、この7年間ずっと外様意識を肥大させてきたわけ。で、今日はその学部の特別講演会で周防正行監督の話があった。私のような素人からすれば「それでもボクはやってない」は法学を学ぶ学生、特に一年生とか向けには良い教材だろうと思われるわけで(でも不機嫌なジーンを行動生態学を学ぶ学生向けの良い教材と言われると当惑するだろうけど)、その作り手の話を聴く機会には意義がありそうだ。で、私は単なる一映画ファンのミーハーとして、聴衆として参加。前から三列目で聞いてきた。法学系の学部に所属して良かったと思える初めての機会。

で、監督が学び考えた日本の裁判の問題点を学部長と対話しながら明らかにする一時間半だった。ウチの学生は恵まれているよ。監督曰く、結論としては、人が人を裁くと言う事についてどこかにあきらめの気持ちを持たなきゃいけないのじゃないかということ。人を罰する事に囚われすぎて無実の罪を作り出してはいけない。冤罪を生まないために10人の罪人を見逃すことをあきらめて受け入れるべきなのだ、という話だった。裁判制度とは違うけど私も社会のあり方としてそういう方向性に向かうべきだと最近とみに思うわけで、我が意を得たりと聞いていた。他に、裁判では裁判官も被告人から裁かれているのだ。だって被告人は少なくとも自分が問われている罪をやったかやらなかったかの事実は知っているわけで、判決の当否を唯一判定できる存在だからだ、という話は印象的だった。でもこれは事実は法理より上位であるという事であって、私は100%この考え方に同意するけれども、専門家からは受けが悪いだろうなと。

最後に4月公開の新作「ダンシング・チャップリン」の宣伝をちらっとされて、それで気がついたのだけれど、ひょっとして周防監督って、純粋な劇場映画はダンスの語のついたタイトルの作品とそうでない作品を交互に撮ってないか?ひょっとして意識してやってるのか?