海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

睡眠不足

「殺人犯はそこにいる」を読んだ。群馬と栃木の県境付近で連続して起きた、足利事件を含む5件の事件の真犯人がほぼ特定されているにも関わらず、なぜまだ逮捕されていないかについての本。誤りを正すことのできない官僚システムの本でもあって、昨日のメルトダウン本ともテーマが輻湊する。どういうことかと言うと、足利事件が冤罪であることはDNA再鑑定によってもたらされたわけで、これは最初のDNA鑑定に問題があったことを意味するわけだけれども、裁判の理屈的にはその問題は正しく認定されていないということらしい。で、真犯人を確保すると当然DNA鑑定が行われるわけで、それを行うと問題の存在が認定されるのは不可避になる。そうすると、その方法によって既に得られている多数の他の事件の裁判結果が基盤を失いかねないという。その中には死刑判決が出て既に執行されている飯塚事件(これも冤罪の可能性が示される)もあって、もしその判決が間違いだと言うことになると大変である。で、ここから逆算すると真犯人は出てきてもらっては困る、ということらしい。確かに、冤罪で人の命を奪うと言うことがあるということが認定されると、その影響は計り知れない。死刑制度は存続できなくなるだろうし、司法制度への信頼も地に落ちる。しかしとはいえ、ここまで明確に突きつけられた証拠を前に不作為でいることも同じくらい罪深いように思える。ので、独立した個人であれば不作為を採らないわけだけれど、組織の中の個人であれば責任のあるポジションにいるときにその問題が発覚しなければいいので先送りが正しくなる。ああいつもの構図だ。

しかし、この本の強みはこんなあらすじを紹介することでは一ミリも伝わらない。読む人をしてぐいぐい引き込んでいくのは、著者の地道な調査活動で描かれるある種の熱情と言うか執念と言うかであろうと思われる。いったい何がここまで著者を駆り立てるのか?そのことについては最後の最後でヒントがほのめかされて、それがわかった上で改めて思い返すと著者の気持ちに心打たれるのであるよ。途中で本を置くことがこんなに難しい本に出会ったのは久しぶりだ。必読。