海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

呉越同舟

今日のヨメサンは選挙関連のお仕事。隣町の駅前で、近所の女性議員を集めて府議候補の女性を応援する演説集会みたいなのでスピーチするのだ。ということで、スピーチの苦手なヨメサンは朝から原稿を書いていて、私も意見を求められる。で、求められたら、正直に答えるわけで、オリジナルの原稿に露だった感情的な部分を徹底的に薄め削るよう進言する。本来このスピーチの趣旨は応援であり、それにかこつけて個人的なことを述べても聞いてる人はポカンだよ、と。そこをいかに趣旨に繋げて行くかが大事、という話をして、多少組立のお手伝いもした。で、集会は13時からというので、私も手伝った手前、見に行こうと思ったわけ。ウソ。本当は亀石倫子も来るというので、ミーハー的には見てみたかったからだな。で、会はパリテが表のテーマであって、辻元以下、議会に女性を送ることの重要性について皆さんが語るわけ。で、ヨメサンは、ウチの町の議会の後進性の象徴である低劣なヤジの横行について語り始め、「それは男性原理に支配された社会では1種のコミュニケーションツールだったかもしれないが、女性の中にはそれを恫喝と捕らえる人もいて(ヨメサンもだ)口を開くのを萎縮させる効果があり、きちんと議論することを妨げることとなる。多様な感じ方、考え方を持つ人が共通理解に至るには、コミュニケーションの方法も旧来の偏った独りよがりなものであってはならない。多様な参加者がフラットに話しあえるためのコミュニケーションのしかたが求められる。とはいえ、88人の定員のうち4人しか女性がいない府議会はまだそこまでも達していない。まずは女性議員を増やすことから」という話をしたわけ。で、実はこの低劣なヤジというのは、この集会の仕切りをしていた某党の男性議員の行為を指していて、事情を良く知る人には、集会にやってきてその中心人物を批判するようなことをしれっとヨメサンが述べたということになり、オーディエンスのお一人からは「あれはロックだった」と言われたという。ヨメサン御満悦。実際、スピーチ苦手なヨメサンだが、今日はなかなか堂に入っていて良かったと思う。準備すればちゃんとできるんだな。ということで、片づけ手伝ってたりしてると14時。お昼でも食べるかね、と駅周辺を歩いていると、別の府議候補がヘッドセットでしゃべりながらビラまきしているところに遭遇。この候補、元衆議院議員で前回落選して、この町の市長選にでるとのもっぱらの噂だったのに、突然府議に立候補してきたという人で、都構想実現のためにはここで二議席必要なんです、とか力説しているわけ。大阪北部の人間が大阪市を解体する話と何の関係があるねんなボケとんなこの人は、と思いつつ、面白いからビラまきしているところの前のカレー屋に行列ができていたので、そこに並んで様子を観察することにする。威力偵察だな。私はこういう時に町行く人の視線とビラをもらう時の受け取り方を観察するのである。そこをよく見れば、候補者がどのくらい受け入れられているかがだいたいわかるというものだ。動物行動学役に立つのだ。で、この候補に対しては有権者の反応がすこぶる悪い。多くの人が目を合わさないようにしている。チラシを受け取る場合も1泊置いてから取る人が多い。もちろんこの候補者の所属する党には、信者的支持者が一定いるのでそういう人は熱い反応をするのだけど、これはどう見ても浮動票に浸透しているとは言えない。あげく候補者以外の運動員がまったくやる気がない。バイト代ケチっただろと思いたくなるくらい(←運動員に賃金払うのは公職選挙法違反なのでそんなあからさまなことはやってないはず念のため)。うわー、これどうするねんな、と思っていたらば、その候補、行列までやってきてビラを渡そうとする。おいおいオレはともかく、いやしくもヨメサンは君の選挙区を構成する2つの自治体のうちの一つで議員をやってる人だぞ。その人に普通にビラ渡そうってか。それ、つまりヨメサンの顔を認識してないってことじゃん?でも、少なくとも落選するまでの半年は国会議員としてどこかで同席したことあったはずじゃん?なのに顔も覚えてないんじゃ、そりゃ選挙勝てないよ、と思ったわけね。私の前に行列に並んでいた人もチラシはもらったものの、去った後にこの候補のことをぼろくそに酷評していた。この候補、後が無いのにこんなんでだいじょうぶなのか?と思ったわ。まあ人の心配をしている場合ではないんだが。で、しばらくしてると行列が進み、入店できてカレー食ってると、いきなり店のドアが開いて、オッサンがよろしくーなんて乱入してきたから、誰や!と思って見てみると、今度は別の地元衆議院議員で比例復活した人だった。府知事候補が与党議員を従えて行列していたのである。私は詐欺師的手法をいつまでも使い続ける某党を支持するようなオメデタイ人間ではないので、府知事選ではこの候補に勝ってもらいたいと思っているわけで、ちょうどカレーも食べ終わったタイミングだったので、オレが支払いするからヨメサンちょっとお行列追っかけていって議員として挨拶して来い、と言って送り出す。お金払って外に出ると行列の末端で、ウチの町のその党の議員さんが何人もいて、日頃は微妙な関係だけれども、今日はまた別だからとニコヤカに挨拶する。オレって大人。しかし、世論調査だとこの候補苦戦しているようで、こんな殿様選挙やってたらそりゃ勝てないよな。この党に対しては今は薄い嫌悪感が拡がっているんだし、情勢調査では党の支持者も全然固めてないようだし、勝つにはむしろ党は後ろに退いて団体の票固めに徹して空中戦は別にまかせたほうが良いんじゃないかな、と行列を見て思ったという。ということで帰宅して畑に行ってタマネギとニンニクのまわりの草むしり。ニンニクのまわりだと草を引き抜くだけでニンニク臭がする。これ収穫が楽しみだわ。そして夜はヨメサンと新車でシネコン。「キャプテン・マーベル」。ガラスの天井、という話。ネコは凶悪である、という話でもある。主人公がクライマックスで、「女性はあきらめろ」というメッセージを乗り越えて立ち上がる、というやりかたで、最大の危機を乗り越える、というのが作品のテーマとしてあまりにあからさまであるけれども、それを衒いもなく娯楽作品のフォーマットで提供されると感動するわけ。今日の昼間とも響きあうしね。しかし、一方で、これは映画とはまったく関係のない話なんだけど、女性の社会進出は今の世の中で保育園にはいれないという形で問題を顕在化させていて、その理由のひとつが保育士不足であるということもあるわけ。で、これは皮肉な見方をすれば、世の中には子育てを含む生活よりも自分の経済的な仕事を優先する人が一定数いて、昔はその人たちが自分たちの嗜好性の発露として仕事をするために、女性を弱い人に見立てて、自分がやりたくない子育てを含む生活部分を押し付けていたところ、現在はその押し付け先を変えているだけのようなところがある。で、現在の押し付け先は、今の経済社会で能力が低いとされている人たちであるという。それって本当に世の仲良くなってるんだろうか?と皮肉屋の私なんか思うわけ。保育士さんへの報酬をもっともっとあげるか、男性女性ともに子育て中は仕事しないでもその後のキャリアに不利にならない仕組みをつくらないと、良くなったって言えないんじゃないかな?とシネコンからの帰り道に、熱くヨメサンに訴えたのだけど、半分寝ていてちゃんと聞いてもらえなかった。