海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ピンとキリ

今日は授業のない金曜日であるけれども、とあるブツの引き渡しをしなきゃいけない、というただその理由1つのために、強い雨のなか往復二時間かけて大学に行かなきゃならない。鬱である。が、それを吹き飛ばしてくれたのが朝から庭で穴を掘っていたイシガメのカメ吉(メスです)。もう産卵の季節なのね。出かけなきゃならないギリギリの時間まで観察して、7個の卵を産んだことを確認。興奮する。で、気分が良くなって大学へ。早速ブツを渡して、トウキョウの編集者さんとスカイプミーティング。いま書いてる本の内容の再構成とさらに書き足す原稿の相談である。これ、結果的に二冊分に相当するくらいの原稿を書くことになりそう。一見すると効率悪そうだけど、やっぱ手間ひまかけたほうが良いものになるので、これまで書いた原稿が一部ボツになるのは受け入れる。で、少し早目に帰ってきて、注文していたサツマイモの苗をもらって、夜は某友人の家でヨメサンが某事案の相談を受けるというので、拉致されてつきあわさせられる。その後、近くで別の飲み会。へろへろしてたはずなのに、会がはけて帰ろうとしたら、ヨメサンが路傍で某参加者さんと激論していて、お前も残れといわれて帰れなくなる。議論の主題は、駅前開発の話なので、まーしゃーない。で、話を聞くと、某参加者さんは事実認識が不正確な状態で議論をなさっているようなので、目の前でそういう状態が現出したときには、その不正確さを正したいと言う欲求に逆らえない私としては、その旨指摘するわけだ。そうすると、「なるほどそういうところに意見の違いがあるのか」とか言い出すので困ってしまう。いやいやちょっと待って、私自分の意見なんて言ってないのよ。議論を成り立たせるべき共通基盤としての事実認識が不正確だからそう言ってるのであって、そこを意見の相違で片づけられては話が進まんじゃん、と、繰り返し繰り返し言うんだけど、伝わってる感じがしない。事実と主張を切り分けろってのは、私は学者だからそれを当然だと思っているし、一応修士まででているヨメサンだってできる。で、今の若い人ならそのあたりちゃんと訓練されている人も多い。のだけど、そういうことを経験せずに歳を重ねている人も当然たくさんいるわけよ。でさ、そういう相手に、議論のやり方の基礎から教えようっていうほど私も暇じゃないし、相手もそんなの聞いてくれないよね。つうことで、路上で不毛な一時間を過ごす。