海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

ノスタルジー

「新しい封建制がやってくる: グローバル中流階級への警告」を読んだ。経済格差の拡大が自由を損ないつつあり、中世のような社会ができかねないことについて警告する本。著者はいろいろなことがらにケンカを売っているのだが、もっとも重要なケンカ先はテック長者と(著者言うところの)左翼化が極まったアカデミズムの結託で、前者の資金力と後者の言説支配力が、中産階級から富を奪い社会階層の固定化を生みだすのだという。で、没落した中産階級農奴的存在と貸し、テック長者とアカデミズム層からなる貴族階級に奉仕するようになるのだと。で、現状認識として格差の拡大と中産階級の没落を原因とする社会の変質はそうなんだろうと思って最初はなるほどなるほどと読めていたのだが、途中から、著者はそれに対して味噌もくそも一緒にして当たり散らしているだけのようにも思えてきて、後半はかなり引っかかりを感じて読み終えるのに苦労した。どうもこの著者はホーフスタッターのいう反知性主義的な人っぽく(今の日本で使われるところの「反知性主義」とは意味が違うので注意)、その姿勢はアメリカの伝統的なものの1つであろう。で、そうなってくると、なんつうか寄って立つ立場は家族の重視とか経済成長が問題解決の方法だとかになってきて、もうその議論は終わってるでしょ、って思ったりする。まあ、こういう感想も著者からは左翼のものとして相手にしてもらえないのかもしれないが、でもともかくも、野放図な経済成長が環境に与える負荷が無視できないものとなっているという現状認識を持つ私としては、その問題に対処しなければならないゆえに経済成長が鈍化することを中間層への打撃を理由に批判するというのは、攻撃対象のすり替えのように思われる。環境による経済活動の制約は、人間には睡眠が必要ゆえに24時間働くことができない、というものに似て所与の条件であって(環境容量に余裕のあった状況で成長していたここ数百年所与でないように見えていただけ)、それを批判しても始まらない。この条件の下で、中間層への打撃が問題なら(私も同意するが)、その問題に対処すれば良いのであって、単純に言えば分配の強化を行うべきということになると思うのだが、この本ではそういう方向に話は進まない。これは筆者の偏りゆえではないかと思うのだが。ネオ中世は必至なのであって、ネオの部分をよりよいものにするにはどうすべきか、が大事だと思うがどうか。