海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

一次資料

やっと「ドラキュラ」を読み切った。いや、買うまで知らなかったのだけど、これ800ページを越えるボリュームがあるのだ。そして内容が内容なので、ムードを作るために夜が深けてからしかページを開かなかったので、読了するまでこんなにかかったというわけ。それはともかく、性のメタファーとしての吸血行為が御本尊ではどのように書かれているのか?という興味で読んだわけだが、結論としては、これだけ?という程度しかなかった。お話としてはおおよそ3部構成で、最初はドラキュラ伯爵が住むトランシルバニアが舞台。ここに、伯爵のイギリスの不動産購入の手伝いに出向いたハーカー氏の恐怖体験が語られるのが第一部。第二部は移り住んだイギリスでの伯爵の暗躍が描かれる。で、第三部はヴァンヘルシング教授率いるハンターチームがイギリスから逃げ出した伯爵を追い詰めて倒すまで。で、エロチックな描かれ方をされているのは第一部のハーカー氏を襲うドラキュラの3人の花嫁のシーンだけ。そもそもドラキュラ伯爵さえちゃんと描かれるのは一部だけで、二部三部では伯爵はほとんど姿を表さないのであるよ。この構成にはちょっとビックリ。吸う側を描くことなしに性の話はできないものね。ただ、考えてみれば昔に書かれたこの作品であるから、現代の感覚でそう判断するのは間違っているかもしれない。当時は今ほどあからさまな表現はできないわけで、単に今に慣れた私の目だから薄味に見えているだけなのかも。ちなみに、ドラキュラ伯爵の側からの視点が一切ないことについては、これは怪物なのだから考えてみれば当たり前なのだ。ゴジラだって第一作はそうだったわけで。それが続編が作られるにつれて正義の味方に変わっていったプロセスは、小説のドラキュラとそこから派生する吸血鬼映画群との関係でも同じなのかもしれない。そういう意味では、ドラキュラが狼を操れるという設定があることも少しビックリ。トワイライトは嘘だったのか。あと、これはどうでもいいことなのだが、ヴァンヘルシングという単語を見ると、どうしてもヒュー・ジャックマンの顔が頭に浮かんできて、女性に対して(現代視点では)たいそうな言葉で話しかけるちょっと癇癪持ちの老教授という本文とのズレに苦しめられたのであった。つまり、これまで映画で作られてきた私のドラキュラ像にかなりの修正を迫る本書であった、というまとめになるわけだな。