海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

残され組

ぶーちんの入学式。ヨメサンが参加している。考えてみれば、私自身の大学の入学式はボンヤリしているうちに遅刻しちゃって出れず、子どものは二人とも出なかったわけだ。なので、大学生の入学式というのがどんなものかは知らない。いや、正確にいうと、教員として出たことは何度かあるけど、ああいうのは大嫌いなので出席をしいられた時は心を無にして対応するので、ちゃんとした出席者としてどんな気持ちを抱くものなのかを知らないのである。どうでもいいことですね。ということで、この三日間の晩ご飯はイノシシ肉の野菜炒め、豚バラ肉と菜の花の炒め物、蒸し鶏、というラインナップだったのだけど、これまでのヨメサンいない飯が3人分作っていたところを今回は上の子と自分の2人分になったわけだ。こうなると、なんかご飯作るのラクチンだわ。そのうち上の子もいなくなっ、二人飯が常態化するわけで、まあそれはそれで身軽になることであるなあ。洗濯とかも楽だしねえ。つうことで、夜ヨメサンを迎えに行く。北海道のおみやげといえば北菓楼のシュークリームであって、これからは頻繁に食べられることになるのであろう。

距離感

朝から雨。上の子は大学に行っちゃって、家で仕事の私は一人。先週戻ってきた原稿の改訂作業が捗るよ。で、夕方、晴れている来たの大地からヨメサンからFaceTime。超古巣の同僚だったT澤さんが北の大地大学にいるので、昨日ヨメサンが急襲をかけたのである。T澤さんたら、突然の訪問に目を白黒だったそうだが、そういうわけでぶーちんのオリエンテーションが終わった今日の夕方にお茶をしようということになったと昨日聞いて、一瞬「朝飛行機に乗れば間に合うなあ」とか思ったわけだけど、オレも歳だし自制が働いてネット越しで混じることになったわけ。便利な時代だよ。で、T澤さんと雑談するのってムチャクチゃ久しぶりで、そもそも最後に会ったのも、それこそ5-6年以上前にどこかの学会でホンの一瞬すれ違っただけじゃなかったかなあ。ということで、なんか一人寂しく暗い家でキーボード叩いてしょんぼりしてた気持ちが晴れやかになって、喋っているとなんか向こうでT澤さんの知り合いの院生さんがたまたま通りかかって、会に混じってくれる。ああ、こういうのがUniversityであるなあ、と思って懐かしくなる。私は就職して以来、そういう環境とは縁のない生活だったので忘れていたよ。で、その院生さんにT澤さんが、ヨメサンとぶーちんを紹介して、スマホの中の私のことにも触れてくれたので、「こんにちは」って挨拶したらば「ああ、クモの研究している人ですよね」と言われて仰天する。「なんでわかるんですか?!」「一度オンラインセミナーを聞いたことがあって」みたいな。何という時代でしょう。ビックリした。しかしスマホ画面の小さな顔を見ただけで、一度オンラインセミナーを聞いただけの人の顔をよく認識できたなあ。ということで、それから小一時間ほど北の大地の大学生活についていろいろ教えてもらった。ぶーちんもなんか楽しそうにしていたらしい。まあ、まったく縁もゆかりもない土地だと思って行ってみたら、なんか親の友達とかその友達とかわらわら来て連絡先交換させてもらったりしたら、ちょっとワクワクするわね。わかるよ。ってか親としてもうれしいのよね。

今日から3人

ぶーちんが大学に受かって北の大地に旅立っていくのである。ということで、新生活の立ちあげの手伝いでついて行くヨメサンとぶーちんを、朝、上の子も一緒に最寄り駅まで送っていく。東京(多摩だけど)にいた2004年の10月から続いた4人での暮しも一区切り。もちろんいつか来ることではあるけれども、まあ少し寂しいよね。なんでも北の大地では、学生会館と呼ばれる民間経営の賄い付き寮がたくさんあるらしく、ぶーちんもそこに入ったので完全な一人暮らしよりは安心なのだけど、ちゃんと一人で暮していけるかなあ、とか心配するのが親と言うものである。まあ、だいたいにおいてこれは杞憂であって、親が思っているより子どもはずっとしっかりしている、というのは頭では分かっているのだけど、しかし親というのは子が赤ん坊として生まれてきた瞬間に刷り込みが成立するわけで、オレなんか19年間ずっとその刷り込みの支配下に置かれているのだ。心配するなといっても無理である。刷り込みだから一生続くんだよ。そういうもんだよ。

小手抜き面

新年度で、新しいポジションについた、みたいなことをいろんな人がTwitterで書いているわけだけど、私的には何の代わり映えもしない4/1でつまらない。そんな中、先週突然某出版社から連絡が。しかもハイブリッド学会大会のオンライン用サイトのメッセージ機能を介してという。へー、この機能にも使い道があるんだなあ、と思ったり。で、とある企画についての相談をと、ということで、zoomでお話するのが今日。小一時間ほど喋って、その企画は難しいんじゃないですかねえ、的な意見を述べる。私的にはあまり否定的なことを言うのは好みじゃないのだけど、なんつうか役割的に仕方なかったのよごめんなさい。ということで、出版社の人に対して何か負債を負ったような気持ちになってしまい、私は借金が大嫌いな性分なので、何かお返しをしなきゃいけないと思ってしまったわけだ。そこで手持ちの企画ネタをぽろっと喋ってみたらばエライ受けてしまった。持ち帰って提案してみるとのこと。自分的には割と大事にしているネタのつもりで、タイミングとか考えずにここで切っちゃって良いのか?と思うところもあるのだけど、まあ、つまらないつまらないと言っていても仕方ないので、考え無しに流されるくらいでちょうど良いかもねえ、という。

脇役として

センス・オブ・ワンダー」を読んだ。レイチェル・カーソンのを森田さんが新訳したものだ。で、知らなかったのだけど、本文自体は短いものなのだな。一冊には足らない。そこで森田さんのエッセイが加えられているのであった。レイチェル・カーソンのも森田さんのも、子どもと一緒に身近な生き物を見て一緒に驚き不思議を感じることについての文章になっている。私は行動学かつ裏庭の生態学の人なので、ここに書かれているワンダーについては身近なもので、というか、人生の柱になっているようなところがあるのだけど、加えて子どもを育てた経験もあるわけで、子どもが生き物に触れる時の様子もまた良く知っている。この本は、今やすっかり忘れてしまっている、その時の気持ちを思い出させてくれた一冊となった。忘れるのは子どもも同じで、ウチの子のうち上の子はまだしもぶーちんは今やまったく生き物に対する興味を持っていない。それについて、レイチェルカーソンの文には(森田さんも書いているけど)小さい時の子どもが、その生き物に対する感受性を失わないためには「生きる喜びと興奮、不思議を一緒に再発見していってくれる、少なくとも一人の大人の助けが必要」とある。してみると、ウチは私が必ずしも上手くやれなかったということかもしれない。下の子にはどうしても手薄になる。それはともかく、森田さん自身はそれまで生き物にまったく触れることのない生活だったところ、お子さんのおかげで生き物に向かう目を持つようになったそうである。昔から思っているが、小さな子を育てる親は、みながその人なりに生物学者になるのであるなあ。さて、森田さんはお子さんと見つけた生き物の写真を時々メッセで私にも共有してくれているのだけど、エッセイ部分には、あ、これあの時に見せてもらったやつの話だ、というところがポツポツ出てきて、その時のことを思い出したり。自分の関った話がこうして本に書かれているのを読むのは良いものですね。

 

リベンジ成功

地元でバードウォッチングイベント。一昨年やって大変楽しく、去年は雨で中止になったやつだ。10日ほど前から天気予報にかじりつきで今年は晴れるかどうかチェックしていた。で、最初は今日の前後がずーっと雨でなんとか今日だけ曇りだったところ、それがここも雨に変化して、もうダメだ二年連続で中止か?と諦めそうになったところ、1週間前には再び曇りに変わり、日が近づくにつれてどんどん予報は好転していき、結果はきれいな晴れだ。しかも暖かい。薄手の長袖シャツ一枚でいけるよ。つうことで8時45分に最寄り駅に着く。今年は学生の参加は一人。あと元衆議院議員のO辻さんも参加。ごついカメラ持参でガチだ。9時スタートでまずは田んぼに。狙いはケリ。ここのところの雨で冠水している田んぼで営巣しているケリはどう過ごしているんだろう?と思っていたらば、ちゃんといて、巣は周りより少し高くなるようワラとか積んで作っていて、池の中にポツンと浮いた島のようになっていて、そこにケリが座っているという姿を見ることができた。なるほどこれはよくわかる。そして淀川河川敷に出てキジが鳴く中、ホオジロやらオオバンやら見た。クモ糸を取ってるエナガも見れた。声しか聞こえなかったものも含めて全部で35種。楽しかった。13時過ぎ解散。どうでも良いけど講師の先生曰く、2月にはコミミズクがいたそうな。2014年の大フィーバー以来河川敷の遷移も進んでもうコミミズクは来ないのかと思っていたけど、たまにいるらしい。油断してはならない。で、帰ってお昼を急いで食べて、新しい田んぼに。みんなで集まって春に向けての整備。畔をちゃんと作らなきゃね、ということで喋るで土を盛る作業を16時まで。くたびれました。

メッテルニヒ

研究室で学生と面談。疑うわけではないけどこの御時世何が起こるかわからないから録音しておく。これ、研究室にいる時は自動で音声ログ取って定期的にファイルをrotateするようにしたいのだけど、Macで良いアプリないですかね?夜は某出版企画の会議。これ、企画が動き始めた時にちょうど学部長になってしまったので執筆だけはするけど編集側になることから逃げることに成功した案件だ。しめしめ上手くやったわい、と思ってサクサク自分の部分を書いて高みの見物をしていたわけだが、研究者が集まって原稿を書く企画がスムーズに進むはずもなく気がつくと学部長だった頃ははるか過去になり、こないだ執筆者の一人であるとことの某巨大学会の会長から「あれの出版はどうなってるんだ?」と怒られたりして、結局編集サイドに巻き込まれてしまった間抜けが私。まあしゃあない。しかしねえ、この編集会議も研究者が集まって行うものである。まあしゃあない。で、最後「みなさんがんばりましょう」なんてガラにもないセリフを吐いてみたり。ともかく早く片づけたい。