海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

食い倒れの街

関西人には、よその土地に行っても関西弁が抜けない人が多いと巷間よく言われるのだが、それはなぜかとしばし考えてみて、一つ有力な仮説を思いついたので、まあちょっと聞いてつかあさい。


「よその土地でも関西弁が抜けないのは、関西人特有のコミュニケーション方式のせいである」


関西人のコミュニケーションといえばボケとツッコミ。この形式を成立させるために必要な事は何か?長崎に来てから三年、こちらの人とそういう会話が成立しないたびにずっと考えてきたが、最近やっと分かった。それは、会話をする時に常に相手の反応を先読みして先読みして、ボケるなりツッコムなりの次の手を用意しておく事なのだ。こうすることによってはじめて会話にテンポが生まれる。関西では相手のセリフを聞いてから反応するのでは遅すぎるのである。


つまり関西人は他人と会話する時に、頭の中にもう一人仮想の人物を作り上げ、それとの会話をシミュレーションし、その結果を発話しているのではなかろうか。


仮想の人物は当然関西弁である。だから、現実の会話の相手が何弁を喋っていようと、関西人には影響がないのである。実際に彼(彼女)が会話しているのは自分自身なのだ。現実の会話の相手は、自分自身との会話を方向づけているのに過ぎない。きっと関西人なら外国人相手でも関西弁で喋れるに違いない。


この仮説が正しければ、関西人は会話中に頭フル回転させているという事になる。人の頭脳は生命維持に必要とするエネルギーの20%以上を消費することを考えれば、大阪が食い倒れの街であるのも納得がいく。