この間紹介した話が「西洋人と東洋人では映像の見方や記憶の仕方が異なる、米国の研究」という題で日経BPにも載っていた。で、そのとき心配していた、Mぺさんのハンガリーでの発表だが受けていたらしい。よかったよかった。
「成長の限界 人類の選択」をようやっと読み終える。かの有名なローマクラブレポートの30年後の続編、というか30年後に再執筆されたもの(本当は三回目)。環境負荷の観点から、人類は既に持続可能な活動量を越えていて、早晩クラッシュするか、それがイヤであれば環境負荷を減らす(人口を減らすか、一人当たりの環境負荷を減らす)必要がある。ただし、そのようにして実現された持続社会は、物質を無尽蔵に消費するという点での豊かさは望めないものの、決して退屈だったり人間性を抑圧されるようなものではないのだ、という本。特に後半が楽観的に過ぎるキライがあるのだけど(そうでも書かなきゃ、やってられないのかもしれない)、環境問題の根本に位置しているにも関わらず、意外と正面切って取り上げられる事の少ない部分を平易に記している本。私の教養の講義を受講している学生みなに読ませたい。
今の経済社会にはポジティブフィードバックが至る所に埋め込まれていて、それが現在の発展をもたらした要因なわけだが、そのフィードバックは一度全体のトレンドが悪い方向に向かうと、事態の悪化を加速するのである、という指摘はこれまで考えた事もなかったので、ハッとさせられた。そう考えると、このようなフィードバックの影響をそぐため、社会のいろんなところに堰を作っておく必要があることになる。で、この方向を少し推し進めると、やはり全体をいくつかの自給可能な部分社会に分割する、ということになるのじゃなかろうか。
もう一つ大事な指摘は「どうせ何をやっても環境の悪化は免れられないのだから、崩壊するにまかせればいいのだ」という考え方は自己実現的である、ということである。できないって言っているとできるものもできなくなる。こうして書いてみると気恥ずかしいが、まさにその通りだと思う。
しかし、どうでもいいが、未来予測の本ではないとはいえ、人類の将来について語る本の中で、Hari Seldonの事をハリ・セルドンと訳すのはいかん。全くもっていかんですぞ。創元推理文庫の頃から心理歴史学を創設したのはハリ=セルダンだと決まっているのだ。厚木淳がそう決めたのだ。
- 作者: デニス・メドウズ,ヨルゲン・ランダース,枝廣淳子
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2005/03/11
- メディア: 単行本
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