海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

街ゆく人皆知りあい

そして二日酔い気味の頭を抱えながらフィールドに。8時からビデオをかけては80分ひたすら待つことを4回繰り返す。待ち時間には麓で買ってきた新聞を読み、こないだ注文のあった原稿読みをやる。で、疲れたときにはボーッと周りの生き物達を眺めていたのだが、すると配偶行動中のイシノミや、ゴミグモのゴミを食べるヤマトシリアゲとか発見するので、こりゃ面白いとXactiで(って言うことは私は動画機器を3台も持ってきていたのか)ホクホク撮影する。いやしかし当たり前だが、東京と比べて長崎の生き物の濃ゆいこと。わずか二日間で、データベースに登録できそうな面白い映像を二つもあっさり撮影できてしまう。「ああやっぱり稲佐山こそ私のいるべき場所である」などとうっかり思うのだ。

どうでもいいが、今年はゴミグモがやたらたくさんいる。私の知っている7年間で最多ではなかろうか。去年は「私の採集し過ぎのせいで減ってたりして」とか思ったわけだが、やはりそれは傲岸不遜の極みだったらしい。で、長崎も今年は雨が多いらしいのだが、そのせいか例年よりもまだ成体になっていない個体の比率が高かったような気がするな。

三時には山を下りてきて、ホテルに。さて充電をどうしようと考え、ひょっとして?と思って、部屋のカードキー入れに適当なカードを差し込んでみたら、なんだ単なる物理的なスイッチのようで、カードキーじゃなくても部屋の電源が入るじゃないか。問題解決という事で外へ。調査中はお昼を食べる暇が無くて空腹を抱えているものの、今から食べるのも中途半端だなあどうしようかとりあえず本屋を冷やかすべえ、とアミュプラザのメトロ書店の生物学のコーナーを除いていたら「せんせい?!」と頓狂な声に迎えられる。昨日とは別の教え子二人である。

やはり都市の規模は人口数十万位が適当だよなあと思う。このくらいなら街で起こっている事の全容を把握する事が可能だし、繁華街をウロウロしていれば誰かしら知っている人に出会うものだ。そして、知っている人にバッタリ出会う事を重ねて、その場所を自分の街だと認識していくわけで、自分の場所だと思えない街ではなかなか人は幸せにはなれないように思う。

「東京に行かれたんじゃないんですか?」「そうだよ。今回は仕事」てな話を、専門書の並んだ前で大声でするのも気が引けたので、彼らを一階の喫茶店に誘って二時間ほど四方山話。やっぱり成長している。なんか放っておいたらいつまでも喋っていそうな勢いで、でも5時過ぎてさすがにこちらも燃料切れになってきたので、お別れを言って浜の町の知っている寿司屋に出かけ食事。やっぱ魚食わないとねえ。

夜は例によってシネコン。もうこれは習慣だといっても良い。で「ピンク・パンサー」。ピーター・セラーズスティーブ・マーティンには乗り越える事の出来ない資質の違いというのがあるのですよ。むしろジャン・レノの方がクルーゾー向きではないか?と思った。さらに「ナイロビの蜂」。昨日の疲れで途中ウトウトして、かつ手持ちカメラの映像のせいで気持ち悪くなったりしたけど、後から考えてみれば心にずしりと残る作品かもしれない。