海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

意志の敗北

読書の秋と言う事で2点読了。1冊目は「スーパーセンス」。私たちがオカルトやニセ科学にハマるのは、決して奇妙な事ではなく、そうなるような心理的バイアスが私たちの中にあるのだ、と言う本。複雑で混沌とした現実の世界の中で、何かパターンを発見する事が我々の生き残りに重要であり、その副作用としての行き過ぎが柳の下に幽霊を見る事である、と言う。

そういえば、ヨメサンがこないだ市民農園の抽選で、くじを引くのが一番最後にさせられてしまい、残り1枚が外れだったことにとっても憤っていて、なんで?と聞いたら引く順番が不公平だからと言う。イヤ別に引く順番と当たる確率との間には関係ないから、といくら説明しても納得してくれず、どうしたもんだろう?と思っていたのであるな。この本の中に、選択肢がある場合と無い場合では当たる確率が変わると信じる症候群の事について書いてあって、つまりヨメサンは意志の力が確率に影響すると考えていて、でも1枚しかくじが残ってなかったらその力が使えないと不満を述べていたのであると言う事がわかった。そういえば、ウチの子が通っていた幼稚園も抽選だったのだけど、その時もまずくじで抽選を引く順を決めてから本抽選を行うというムダな事をやっていたのであった。ヨメサン曰く、公平のためにそういう複雑な事をやっているのだと。つまり多くの人がこの症候群を抱えていると言う事なのであるよ。

閑話休題。この本の最後の章を読むと、スーパーセンスには単なる副作用なだけじゃなくて、これによる合理性からの離脱が我々をして高度な社会化を達成せしめたということを仄めかしているように思えるがどうか。つまり、オカルトにハマる我々の心性はそれ自体が適応的なんだと言う。確かに、みんながキリキリ骨の髄まで合理的に振舞う社会は万人の万人に対する闘争になってしまうわな。だったら私としては確率概念を上手く扱えないヨメサンを、啓蒙する対象としてではなく、ありがたいものとして敬わないといけないという結論に達すると思うのだがどうか。

スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている

スーパーセンスーーヒトは生まれつき超科学的な心を持っている

もう一冊の事はまた明日。