海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

北摂ぶらり旅

朝、ぶーちんがヨメサンにこっぴどく怒られて泣いていたので、慰めようとぎゅーぎゅーして、気を紛らわせようと「ちょっと一緒に外でも行く?」と言うと、キラリと「遠くでも良い?」と答えが。「いいよう」というと、「じゃあ○○公園に行きたい」と言い出した。○○公園とはぶーちん1年生のおりに遠足で出かけた、ウチから電車で4駅ほどにある大きな滑り台のあるところだ。よっぽど好きらしくって、事ある度に行きたいと言い募るので、車で近くを通った時に何度か行った事があると言う。しかし今日はわざわざそのために車を出すのも億劫なので「じゃあぶーちんが連れてってくれたら電車で行ってあげる」ということになった。私的には、とにかく気が紛れればいいので、ぶーちんの道案内が不安であることには目をつぶるわけだ。ということで、電車でテンテンでかけて最寄りの駅に。さあぶーちん、ここからの道を知ってるのは君だけだよ。とはいえ、ぶーちんも来たことがあるのは1年以上も前で、しかもまだ1年生の頃だ。当然ながら道順など覚束ないけど「看板を見ていけばいいんだよ」と自信満々。駅前に看板を見つけて、得意げに「こっちだよ」と歩き出すわけ。「しばらく行くと小学校があるからそこを曲がるんだよ」。ところが、行けども行けども小学校が無く、そのうち予期せず踏み切りに出たりして、これは完全に迷った感じ。まあ私的には散歩のつもりなので気にしないわけだが。で、歩いていると、まあ日本の市街地であれば、適当に歩けばどこかの小学校には出くわすのだけど、さすがにその時はぶーちんもおかしいことに気がついていて、違うなあとか言いながらさらにずんずん歩いていって、ついに国道に出て、遠くに見える高層ビルの方向がウチだということまではわかるようになったのがもうお昼だ。お腹空いたしもうあきらめて帰ろうか、ということになるのだけど、ぶーちん的には今自分がどこにいるかも覚束ない。あっちに歩けば帰れることは判るけど、やっぱり電車に乗りたいよねえ。だけど駅がどこかも判らないわけよ。私も、この苦境をぶーちんがどう乗り越えるか興味があったので「お父さんは、ぶーちんについていくから」と静観だ。すると、ぶーちんともかくもウチの方角に歩きはじめる。すごいぞぶーちん不屈の魂、とか思っていると、近くの駅の看板が見えて、さらに迷ったけれどなんとか帰ってこれたと言う。およそ7kmほど歩いた。で、帰りの電車の中で「道に迷って不安じゃなかった?」と聞いてみると「別に。だって歩いてればいつかつくでしょ」だって。ぶーちんは頼もしいことである。