海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

緑のトカゲ

昔、長崎に住むことになって、家を探して初めて市内をうろうろした時に、観光がてらふっと入ったのが26聖人記念館で、日本史とか疎かった私はそこで初めてキリシタン弾圧の詳細を知ってまあびっくりしたわけ。で、実際に住むようになると、隠れキリシタンの話とかが、身近に感じられるわけで、夕日の綺麗な遠藤周作記念館とかも行ってその断崖絶壁に、そうかこういうところに隠れ住んだりこっそり流れ込んだりしてたのか、とか思ってたわけよ。というわけで、スコセッシが「沈黙」を映画化したと聞けば行かないわけにいかんじゃないか。朝からヨメサンとシネコンで「沈黙−サイレンス−」。極東なめたらあかんぜよ、という話。いや、一番悪いのは西洋の資本家、という話でもある。この話を西洋人であるところのスコセッシが描けばそりゃ内省的になるわけで、それは逆に日本の方が正しいじゃんっていう、昨今の世の風潮に利用されちゃいかねない描き方にもなってて、なんていうかあれだけど、いやそりゃズブズブの沼だって、全員が湿地性の性質を持ってるわけじゃなし、中にはマイノリティとして葉を伸ばしたり根を張りたいと思う人もいるわけでさ、そういう人から見ると、この映画を見ると見捨てられちゃいそうな恐怖にもとらわれるわけよ。いや、もちろんこの映画では西洋人の傲慢と融通の利かなさが悲劇を生んでるように表面的には見えるけどさ、融通が利かないことについては井上さまだって同じだわな。どうでもいいことなんだからトットと踏み絵しろってなら、どうでもいいことなんだったら踏み絵しなくてもいいってことになるわけで。日本の描写はほとんど違和感なかったけれども、長崎にはいない熱帯のトカゲぽいのがチラッと映ったのだけは気になった。台湾ロケだったからだねえきっと。