海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

落ち穂拾い:行動学役に立つ

こんな風に瀬踏みを続けていると、スーパーで演説聞いてくれて覚えてくれる人もボチボチ現れるわけで、そういう人にリーフレット渡しに行くと、決まって「がんばってるね」と言われるのだそうな。決して演説の中身についてのコメントはない。で、そういう話を毎日聞かされるわたくし、そのうちに、がんばることを見せるのが辻立ちの目的ではなかろうか、ということに気がつくわけ。じゃあだとしたら、その意味は何だろう?と考える私は動物行動学者であって、選挙で投票先として選んでもらうことと、配偶者選択との類似性に気がつくわけですよ。そうかこれはハンディキャップ理論で説明できるわけか!どちらの場合も、複数の選択肢の中から最も良いものを選びたいのだけど、何が良いかはぱっと見では判断がつかないと言う状況だ。だいたい選挙の時なんてのは候補者はだれしも口当たりの良いことばかり言うわけで、演説の内容を元に投票先を選ぶなんて良いカモではないか。だから有権者は、最も大きなコストを払っている候補者を選べばいいわけで、それでその評価の結果が「がんばってるね」ということになる。そうか毎朝駅前に立って挨拶している候補者を見ては、「意味のないことやってるなあ」なんて思ってるオレが甘かった。その行為自体が選択の基準になるのは至極当然ではないか。っていうか、だったら辻立ちで演説してるほうがハンディキャップとしてはより大きいような気がするので、じゃあやっぱりみんな演説すればいいのに。。。っていうか、そうかできないんだな。演説できるヨメサンは、つまり自分の質の高さをうまくアピールできてるって事やんね。普通敷居が高くって街頭で演説なんてできないよな。オレには無理。