海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

私のこころのツボ

先週の長崎で「11月18日を歩く」というZINEを買い求めた。11月18日とは、江戸時代のはじめのキリシタン弾圧の一貫で、1619年の長崎で5人が火刑にされた日だ。この日、5人は牢のあった今の桜町あたりから西坂の刑場まで歩いて移動したわけだが、その道のりをたどるというのが本書の内容だ。で、私といえば、生涯2度目に長崎に来た時(確か就職の際の2度目の面接の時だったと思う)、たまたま西坂の二十六聖人記念館を訪れて、そのことを知って衝撃を受けたものであって、その後長崎に住むようになって、弾圧や隠れキリシタンの話が心に引っかかるようになったのだ。いや、私など日本的な社会性をほとんど持ち合わせていない人間である。そんな私だから、いつか世間に弾圧されるんじゃないかと心の片隅でずっと恐れながら生きているわけで、江戸時代のキリシタンという存在は他人事ではない。で、その状況で殉教を受け入れるというのは私のような性格の人にはあるべき姿だといえるのだけど、一方で自分がその状況に置かれたとして、そのあるべき姿を自分が取れるかというとそんな自信は毛頭ない。ということで、この話は心に引っかかりまくるのだ。で、本書を書いたのは下妻みどりさんで、これまで長崎関連の本を2冊読んでいて、対象に対する深い思い入れとクールな視点を両方備えた文章が私は好きで、その方がキリシタン殉教の話を書いたと知れば読みたいじゃないか。で、ZINEだからAmazonで買えるというわけじゃなくて、実物を置いているウニスカさんにこないだ行ってやっとゲットできたというわけ。で、これがまた、読んでいるとページが飛んでいるところがあって、しばしどうしようか迷ったものの勇気を出して下妻さんにメッセして(実はTwitterの相互フォローだったりするのだが)、落ちてたページの写真を送ってもらったりしたのだ。っていうか、話しかけるきっかけができたので落丁冊子を手に入れたのは幸運だったといえるのかも。ということで、今日ゆっくりと全部読んだ。もうこれからはあのあたりを歩くたびに、この話を思い出すのだろうなあ、と思う。400年、人も社会も大きく変わっているのに、町はそこにあり続けると考えると不思議な気持になる。で、流れで、京都の私の通勤路の近くにも殉教の跡地があることを知った。これは一度足を運ばなければならない。

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