海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

不肖の後輩

しりつには炭酸ガスで麻酔を施すのだが、それだけで無く、マイクロハサミを振るうために動かなくなった体を保定する必要がある。で、どうやっているかというと、動いているクモの動きを止めて観察するための紙コップセットを利用するのだな。紙コップを二つ用意して、一つの底に大きな穴を開けてラップを張る。で、ラップの無い紙コップの底にクモを入れて上からラップを張った紙コップで押さえると程よくテンションのかかったラップでクモは動かなくなり、透明なラップを通して観察もばっちり、という寸法だ。で、しりつの際には、このラップに更に小さな切れ込みを入れて、その切れ込みのところに患部を置き切れ込みを通してハサミを入れて処置、というわけ。小さな切れ込みで上手くハサミが入るかしら?とか小さな切れ込みにきちんと患部を設置できるかしら?とか逆に切れ込みでラップのテンションが失われて押さえ込めなくなるんじゃないかしら?とかいろいろ心配はあったけれども、やってみればとても上手いやり方だった。で、つらつら思うに、このやり方を思いついたのは、子供の頃近所の本屋に通ってブラックジャックを浴びるように立ち読みしたからなのである。あれの手術シーンとかがヒントになっているわけですよ。いやホントに何がどこで役に立つかわからん。そう思うと、今、進撃の巨人とか貪るように読んでいるウチの子の事も生暖かい目で見てやった方が良いのかしらん、とか思ったりする。さすがに物理法則とか無視している立体機動が将来役に立つとは思えないんだけど(っていうかあれを真に受けて高いところから飛ばれたりしても困る)、でもそこは我慢すべきであろうなあ。

大学生ともなると大人だから、自分で無駄だと判断したらそれを行わない事くらいできるわな。だけど、そんなことがどうしてもっと大人になったらできなくなるのかようわからん。こういうのが我々の社会から活力を奪うのよ。という事で、午前中大学に。土曜日だから道も空いてるだろうし車でと思った私の油断っぷりよ。秋の三連休じゃないか。車で京都なんて、愚かの極み、と気がついたのは東山通りに入ってから。実はこの少し前から燃料警告灯が点灯していて、でもいつも使う安いガソリンスタンドはもう通りすぎていたので帰り道に寄ろうと思っていたのだな。で、車が今の燃料であとどのくらい走れるか表示してくれるのだけど、それによるとスタンドに着く時点でまだ20km余計に走れる計算。これならまあ良いかと思っていたわけ。だけど東山通りの渋滞にハマってから、見る見る減っていく走行可能距離。ヒー焦るやん。でも焦りに耐えて大学につき、心を無にしてやる事をやり、燃料計とにらめっこしながら帰途につき、やっとスタンドに着いた時、走行可能距離は10kmになっていた。なんでオレこんな危ない橋渡ってるのやら>そりゃガソリン代けちってるから。