海の底には何がある

これは日記だ。ブログじゃない。

大勝利

5週間連続で授業の無い月曜日に大学に出ざるを得ない状況に陥っており、今日もまたでかけなくてはならない。いやだいやだいやいやえん。けど幼児のようなことを言っているわけにもいかないので、洗濯物を干してヨメサンが議会に出かけたあともしばらくグズグズしてから重い腰を上げてウチを出る。と、10分ほど歩いたところで、ふと気がつく。あれ?そういえばオレさっき洗濯物を干しに庭に出たけど、戻ってきたときは庭に続く2つある大窓のうち、出たときとは別の1つから入ろうとして、鍵がかかってたからヨメサンに開けてもらって入ったんだよな、その時鍵かけたよな入った方の大窓には。。。ってことは、出るときに使った方の大窓は未施錠じゃないの????と、いや待てお前はいつもそういうパラノイアにとらわれるじゃないか。これまで鍵かけたか確認しに戻って実際に開いてたことあるか?ないだろ?今日もそうに決まっている。だいたいもう1kmほども歩いてるじゃないか。ここから確認に戻ったら往復2km、20分はムダに失うぞ。と、考えはじめると、方向転換する踏ん切りがつかない。しかし、一歩一歩進む度にどんどん「いや鍵を閉めた記憶はない」というところに確信が深まってくるじゃないか。しかし、そう言ってる間に取って返すコストはどんどん増えていく。気がついた瞬間に決断できなかったんだから、時間が経てばたつほど判断を誤ったときのダメージが大きくなるじゃないか。ああコンコルドの誤謬。とか煩悶しているうちにどんどん歩だけは進んでいって、ついに駅の直前まで来ちゃった。電車に乗っちゃったらもう引き返せない。戻る決断するチャンスはあと少ししかない。そうだタクシーに乗って帰れば失う時間はわずかになるぞ、お金なんかどうでもいい。よし駅に着いて客待ちタクシーがいたらウチに帰ろう!と思って駅に着いてみたらちゃんとタクシーがいるじゃないか。なのに、まだやっぱり「えーでもきっと鍵かかってるしタクシー代もったいない」という優柔不断なオレである。よしもう行こう。もし鍵がかかってなくても誰も泥棒になんか入らないさ、と改札の前に立つと、何と人身事故で電車が大幅に遅れているとの表示。ああああああああああああああ、これは帰れってことだ!と衝動的にタクシーに乗って帰宅したわけ。そしたら、窓開いてたよ!!!!!!!!!パラノイアじゃなかったよ!!!!!!!!!!!正しい判断をしたよ!!!!!!!!!!!!!!正しい判断の前にはタクシー代なんてちっとも惜しくないよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ということで、心の底から満足して、JRは遅れてるんだから阪急を使おうと思って再度ウチを出る。で、100歩ほど進んだところで、あれ?玄関の鍵かけたっけ?と思ってもう一度確認に戻ったら今度はちゃんとかかっていた。